ネットの短い歴史でわかったのは「ユーザーは学ばない。最適化するだけ」っていう悲しい事実
先ほどコンビニで、発泡酒(ビールではない!)のつまみとして買ってきたドライソーセージのパッケージに「写真はイメージです」という断り書きがしてあっ た。これを英訳するとどうなるか。

The picture is an image.
(この写真は画像です。)

こ れではまったく意味をなさない。ずっと気になっていたのだが、ネット上でそれらしい表現を発見した。

The picture is only for reference.
(写真はあくまで参考用です。)
日本にもどってきたら、「日本人だから○○が無い」のではなく、「そういうトレーニングをうけてないから○○が無い」ことがいっぱいあることがよくわかる。つまり国籍関係なくね、ということがけっこうある
小さなゲーム会社に勤めてたとき、プログラマーの人たちがモニターをみてため息つきながら「なんて美しいコードなんだ…」って言い合ってて、すてきな光景だなと思った。デスマ真っ只中だったけれど。
時間がきたなら、文章の途中でいいので、そこでやめてしまうこと。むしろこうして文章を途中で投げ出しておくことによって、明日続きを書こうとするときに仕事を再開しやすくなる。編み物や陶芸でもこうした「下り坂で駐車」しておく手法が効果があることが知られている。

船は港にいる時最も安全であるが、

それは船が作られた目的ではない。

最近の新卒採用の流行りに乗って、営業が「意欲的でリーダーシップのある人」を採りまくり、開発では「現状を分析して何が必要か考え、問題を打開し、新しい価値を創造していける人」を募った結果、今年度入社の後輩達がいきなり労働組合を立ち上げるという大変愉快な展開になった。

そもそも“鬱病が治る”という概念は、「もとの生活ができるようになる」ということではないよね。ある人がある環境の元で暮らしていて鬱病になり、生活する気力を失ってしまいました、と。治るというのは「失った“生活する気力”を取り戻すこと」であって、「病の原因となった厳しい生活に戻っても全く問題なく生活できるような強靱な精神力を“新たに”体得する」ということではない。

人にはそれぞれ自分が耐えられる範囲が決まっている。プレッシャーにしても花粉にしてもね。その限度を超えたら病気になるのだ。病気がなおったら、そういう自分の苦手なものとは縁のない生活を選んで暮らすというのが基本なのだ。

mentalalchemy:


c1c3c11:

Rocket powered car compactor. Everyone should own one. 

I watched this like 40 times

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タイトルが「私の家来ちゃいますか?」ってスパムメールきて「いやいや家来じゃねーよww」って思ったけどよく考えたら訓読みだったパターン
「人を信じるということは、相手への期待ではなく、自分への決意なのです。 」

ココイチの標準的なカレーの価格は600円ほどだ。だが、シンガポールならともかく、そのままの価格で現地に持って行っても、そのまま受けいれられるのは難しい。タイのサラリーマンの標準的な月給は、日本の4分の1から5分の1(たとえば飲食店正社員なら、4~5万円程度)だ。

ということは、600円のココイチのカレーは、日本人の感覚でいえば4~5倍、「3000円くらいかけて、店に行くイメージ」だ。当然、日本と同じ価格を許容できる「海外在住の日本人」を対象にすればおのずとマーケットは限られる。しかし、安くすれば現地のローカルフードとの競合になるし、採算も取りにくい。日系外食チェーンがよく陥るジレンマだ。

そこで、ココイチが採った戦略は、日本では比較的リーズナブルなイメージを、なんと高級ブランドへと、転換することだった。日本式カレーをベースに、オシャレなブランドイメージを実現したのである。

価格を日本と大差ない200バーツ(600円)程度にするかわりに、写真のように、照明を少し落とし、高級感のある内装にして高級ブランドイメージを打ち出した(上の写真)。店内は、ゆったり食事をしてもらえるように一人向けカウンターはなく、テーブルが主体だ(下の写真)。しかも出店は、高級デパートなど超1等地中心に行い、日本式の高級カレー店のイメージを定着させた。